日記みたいな

日記とか娯楽感想とか

娯楽鑑賞は宗教体験である

 面白い娯楽作品を鑑賞すると、快楽にも似た圧倒的な幸福感に長時間浸ることができる。逆に言えば、その条件を満たす作品が面白いのである。では、その幸福感に支配されているとき、僕はどんな心情を抱いているのだろうか。考えてみた。

 おそらく、そのとき抱く感情は作品に対する負の感情を完全に捨てた、純粋無垢な賛美なのではないかと思う。「賛美」と言うと控えめに聞こえるかもしれないが、"負の感情を完全に捨てる"という点を考えると、それは理性を捨てた一種の信仰だと言える。人間が生活を営む上で必要な理性を保たなければ、作品に冷静な判断を行うことができない。しかし、娯楽鑑賞を最も【楽しむ】ためには、理性を保つ必要があるのだろうか。いや、その必要はない。

 作品を鑑賞する際に、理性を保つ必要はない。理性を捨て、作品に対する純粋な賛辞のみを抱き、最初から最後まで信者になったつもりで作品を鑑賞すればいい。そう考えると、僕は娯楽鑑賞をある種の洗礼として捉えているのかもしれない。

 信じられることが数少ない世の中に生きる僕達ではあるが、自分の感性だけは確実に信仰して、あたかも洗礼のように娯楽鑑賞を行い、精神的支柱を得る。こういうスタイルがあってもいいのではないだろうか。